2019年9月19日別居
どうもrikon-logです。
タイトルにもしている別居日の状況について整理していきます。
2019年9月19日
19:00頃、仕事から自宅に戻ってみると部屋の中は真っ暗。
いつもなら息子の声がして、たまには玄関まで走って来てくれる。
その日はそれがなかった。
廊下の電気をつけ、部屋の中に行くと部屋にあったものの9割がなくなっていた。
具体的には
・エアコン
・テレビ
・冷蔵庫
・洗濯機
・ベッド
・布団
・ダイニングテーブル
・リビングのシーリングライト×2
・掃除機
・炊飯器
・オーブンレンジ
・各種収納(タンス、ラック、カラーボックスなど)
・その他日用品(シャンプー、洗剤、ティッシュなどの消耗品、使いかけも含めてすべて)
・息子のもの(おもちゃ、洋服、保育所関連のもの)
・アルバム
・妻の持ち物
反対に残っていたものは
・物干し竿
・ベランダ用スリッパ
・ソファ
・客人用の布団セット
・自分の持ち物
家の状況を見ての感想は「出ていったか。」というそれだけ。
散々出ていくと言っていたし、妻が自室に大量のダンボールを用意しているのは扉の開閉時にちらっとは見えていたので驚きはなかった。
修復ができないことも、修復する気がないこともお互い認識があったし、離婚について何度か話し合いをしたが良い妥協点を見出すこともできなかった。
第三者の意見を交え判断してもらおうということで離婚調停にも同意済み。
自分名義で社宅として借りている家で自分は出ていく気はさらさらないし、妻は職場の異動に伴い立地の不満を言っていたのでもっと仕事に通いやすい場所に引っ越したかったとも思う。
家から徒歩で行ける職場の打診もあったのに、断ってわざと遠くの職場を選んだから始めからこの家を出ていくと決めていたとも思える。
わざわざ遠くの職場を選ぶ理由を聞いたが「仕事でキャリアを積みたい」という内容だった。
産休で家に居る時ですら大変と言っており、徒歩圏なら時短も不要、社内業務メインの職場だったからおそらく会社側は配慮しての打診だったと思う。
にも関わらず、時短で往復3時間の職場を選択したことから全く理解できないでいた。
そんな状況だったので出ていくことに関しては驚きも何もない。
むしろこんなにもドラマのようにわかりやすい出て行き方をするんだと思ったくらい。
それよりも一番ダメージを受けたのは息子に関わるすべてを持って行かれた点。1歳記念の写真アルバムは2冊あり、1冊ずつ保有していたのに自分の棚から回収されていた。
手元に残った息子との思い出は、自分が息子に送った破魔弓、息子が手渡しでくれたどんぐりと公園で拾った石、息子が保育所でつくった父の日のプレゼント、自分のスマホにある写真と動画だけ。
最後にお別れの挨拶もできず、突然会えなくなることのダメージが一番つらいと痛感した。
真っ暗な部屋で1時間くらいソファに横になって天井を見つめて泣いた。
ひとしきり泣いてからは「予想もしていたし、じっとしていても意味がない」と思い、近所のホームセンターへ。
夏場で汗だく、翌日も会社に行く必要があるのにシャンプーなどが一切ない状態だったので日用品の購入。
帰りにコンビニで夕食を購入した。
買い物をしながらかねてより、我慢していた自分のPCをその日のその勢いで購入することにした。
どうせ財産分与だとか、慰謝料だとか請求される可能性があるし少しでも今のうちに使って手持ちを減らそうという考えもあった。
パソコン2台、タブレット1台、周辺機器一通りを購入し、その日の夜に約30万円を使った。
どうにでもなれ。
今このブログはその時購入したパソコンで書いている。
その日はがらんと広くなった家で宿泊に来たお客さん用の布団で寝ることに。
理由は自分が使用していた布団も持っていかれたから。
そもそもは妻の実家からもらったものだったので、息子用もしくはおそらく実家から呼び寄せたと思われる妻母用として持っていったのかもしれない。
もしかしたら純粋にいやがらせで捨てられただけなのかも。
どちらにせよ息子が生まれてからは「いびきがうるさい」という理由で別室で寝るように言われ、今までせまい部屋で寝ていたので足が伸ばせて寝れることは正直快適だった。
快適ではあった、しかしその日はほとんど眠れない夜だった。